WEBデザイナーになって思うこと
今日は久々に自分のことを記事にまとめたいと思います。
私は3-4年でWEBデザイナーになることができました。
今ではWEBデザイナーになって本当に良かったと感じています。
やはり、この仕事をしていて思うのがITがどの業界よりも一番最先端で稼ぎやすいと思います。
IT業界はあまりダメージを受けていません。
私の仕事も全くダメージを受けていないどころか、むしろ巣ごもりでオンラインで
学習する人が増え、WEBデザイナーになりたい人の需要がどんどん増加してきました。
そのため、私の仕事も絶好調です。
3-4年前とは全く変わるこの現状。
どのようにして全くの未経験からウェブデザイナーになったか詳しく書いていきたいと思いますので
皆さんに少しでも参考になれば幸いです。
辛かった営業職のテレアポとノルマ
3-4年前は私にとって本当に暗黒時代でした。
新卒で入社した営業職ではとにかく、ノルマ達成に向けて疲弊するまで働きました。
内容は今考えればものすごい体育会系で到底できるものではありません。
毎日200件テレアポをして、毎日2-3件訪問営業します。
テレアポでは基本怒鳴られることが多く、何度もやっていると完全に麻痺してきます。
「またかけてきたのか!?もう一生かけてくんな!!」みたいに罵倒されます。(笑)
それでも、毎日やっているともう感情が無になってくるので
全く動じなくなってきます。
何よりつらかったのが口がパサパサ、粘々になることですね。
これは、テレアポを大量にやったことがある人にしか分からない現象です。
テレアポを1日200件もしていると本当に最後は口が粘々でうまく話せなくなります。
そんな辛い営業生活でノルマ達成に向けて毎日必死になって働いていました。
しかし、そんな辛い日々の中でも相手に媚びを売って機嫌をとる営業は
私に向いていたらしく全国で1位の成績をとってしまったんです。
凄く嬉しいことなのですが、私は不安しかありませんでした。
だって全国で1位をとってしまったらもう上がありません。
下がるしかないということです。
その恐怖から耐え切れずとにかく早く転職しようと決意しました。
そしてたった2年で営業職を転職してしまいます。
大失敗の転職
営業職では相当疲れたので、事務職でゆったり働きたいという思いから私は大学職員の事務職に応募しました。
なぜ大学職員課というと大学職員は夏休みがあるとか、ゆるくて高給取りだとかいう噂があったからです。
でもそんなの大昔の話で、今では少子化で大学も定員割れが続き企業よりも衰退していっています。
そのため、大学ではあまり採用をかけずに応募枠1名とかで改革を起こしてくれそうな職員を採用します。
そんな枠で採用された人がのんびり働ける訳ないですよね。
私は営業職をやっていたということをかわれて、数少ない採用枠でなんとか採用してもらえることになりました。
でもそれが地獄の始まりでした。
営業職よりもつらい仕事量と質を求められたのです。
地域創生活動の補助金を獲得して、その地域活動を担う担当になりました。
一見、地域活動というと楽しそうにも思えますが全くそんなことなかったです。
地域の活動は基本土日に行われるため土日出勤なんて頻繁にあるし、
前例のない活動やイベントが毎回地域から依頼が来る。
業務量は本当にパンパンでした。
もうこんな会社嫌だ!そう決心して私は「仕事を辞める」という決断をしました。
でも、もう働きたくないという思いもあり八方ふさがりでした。
そんな時、長年付き合っていたパートナーから結婚しようと言われ、
もう私の道は結婚しかない!と思い結婚して仕事辞めました。
「WEBデザイナー職業訓練校」
休憩するにしても、ずっと旦那のお金で暮らすのも息苦しい..。
そう思った私は失業保険でどうにか暮らせないか模索しました。
すると、失業保険を長く延ばしてずっとお金をもらうことができる裏技があると知りました。
それは職業訓練校に通うことです。
そこで当初から気になっていたWEBデザイナー職業訓練コースを見つけ、
迷わず応募したのです。
ここが私がWEBデザイナーという世界に踏み出した大きな分岐点となりました。
これでバラ色の人生!とも思うのですがまだまだ苦労がありまして..
HP会社での地獄の修行
職業訓練校では、20名ほどの仲間と割と楽しく9か月間学ぶことができました。
そこまで奥深く濃い内容は学べませんでしたが、illustratorとは何かとかPhotoshopを使ってどうするかとか
体系的にWEBデザイナーの作業を体験することができました。
しかし、この時点ではまだまだ経験が浅く私はすぐにでもHP会社に就職して実績を積みたいと思うようになりました。
そこでHP会社のアルバイトとして半年間勤務をします。
そこでは年下のめちゃくちゃ怖い先輩に毎日怒られ本当につらかったです。
でもそこでアルバイトながらHP制作のある程度の技術は身に着けることができました。
その後、私はフリーランスになります。
フリーランスになっても仕事がすぐあるわけではないのでとにかく「委託」のお仕事を受けまくっていました。
その頃は年収300万-400万くらいは貰えていました。
そこで感じたのはフリーランスになったとしても結局のところ委託で会社からお仕事をもらうしか生きていけないのかと思いました。
会社に依存するのが嫌で辞めた会社員でしたが、フリーランスになっても会社からお仕事をもらうために媚びる生活であまり変わっていないな。と思いました。
それでも組織に縛られるということはなかったので、割とストレスフリーには生活できていたと思います。
半面、毎月の売り上げが0スタートなのでそこのストレスはありました。
会社員と違って、自分がどんどん動いて会社に応募して委託の仕事を貰わないといけない日々は結構きつかったです。
念願のフリーランスからHP制作会社立ち上げまで
委託の仕事をこなしていくと、低価格でめちゃくちゃ多い仕事量で嫌になってきました。
私の価値はこんなもんじゃない。すごく良いデザインを出してるんだから単価はこれくらい上げなきゃ。
そう思って単価を上げるとパタリと委託の仕事は来なくなるんですね。
つまり、委託の仕事は質よりも安く使えるかが重要なんです。
このカラクリに気づくまで1年かかりました。
自分の制作物の価値を上げる→自分の単価を上げる→でも仕事がなくなる。の悪循環を繰り返し
ようやく私は気づきました。
「この先ずっと委託として使われていたら生きていけなくなる」
どんどん技術の進歩が進んで海外からも優秀な人材が日本に流れ込んでくるIT業界では
いくらスピード感もって技術を身に着けてもすぐに淘汰されてしまいます。
ずっと「使われる側のプロ」としてやっていくと低単価のままなのです。
私は「使う側のプロ」になろうと決心しました。
そこで委託ではなくダイレクトにHPを受注しなくてはならないと思い制作会社を立ち上げたのです。
それからというもの、ダイレクトでお仕事を獲得するので金額も2-3倍に跳ね上がり
使われる側の人間から脱することができたのです。
WEBデザイナーになって今思うこと
いかがでしたでしょうか?
これが私が未経験からウェブデザイナーになるまでの道のりです。
結構辛く長いような道のりに見えますが、
仕事を辞めてWEBデザイナーになると決心した後は割と楽しくやっていた気がします。
それはなぜかな?と考えた時、理由は明確でした。
希望と夢があったから辛いときも耐えられたんだと思います。
何の意思もなく安定だけを求めて入った営業職や事務職の頃は何をやっても楽しく感じませんでした。
でもWEBデザイナーを目指した後は自分の夢と目標に向かっているといった感じが凄いしました。
だからこそ楽しみながらここまでこれたんだと思います。
あなたももしこれからWEBデザイナーを目指したいと思うなら
「WEBデザイナーって本当に楽しいお仕事ですよ」と伝えておきます。
あなたがWEBデザイナーにこれからなりたいのであれば私は全力で応援したいと思っています。
この記事が少しでもあなたの糧になれば嬉しいです。
皆さんも私と同じように未経験でもWEBデザイナーになって素敵な人生にしてください♪
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